日本スープ協会
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私が小学生の頃、両親は共働きで一人っ子の私はずっと一人で留守番でした。ある日、私は初めてご飯を作ることにしました。悩んだ末、母がたまに作るピーマンの肉詰めを作ってみることに。しかし、小学生の私はレシピがわからずとりあえずピーマンを切って中にひき肉を入れて煮てしまったんです。もちろん肉詰めにはならず肉はピーマンから出てスープに浮いているような失敗作に終わりました。捨てられずにいると帰ってきた母がそれを見つけ「亜矢子が作ったの?」とびっくりしつつもうれしそうにスープになったピーマンの肉詰めを全部残さずに食べてくれました。「ありがとう」。そう言い、片付けをしている母の背中が震えていて泣いているようでした。

僕は小さいとき、新聞配達をしていた。その頃、父親の仕事がうまくいかず、少しでも家計を助けようと始めたのだ。冬の朝などは手がかじかみ、耳は凍り、白衣機はその場で固まってしまうかと思うほどだった。まだ夜の明けきらぬ町はひっそりとして冷たい。泣きそうになって自転車を漕いで配達していると、一軒の家の灯りがついていた。早起きだなと思いながら、新聞を配達すると、ガチャリとドアが開いたのだ。おばあさんが「毎朝ご苦労さん。これ飲んでいき」と言ってくれた。湯気がもうもうとたっているスープだった。熱々のスープは僕の心も体も温めてくれた。その日の新聞配達はいつもより早く終わった。あんなに旨いスープは初めてだった。

「忙しくない日のスープ」。「忙」という字は、心を失うと書く。つまり気持ちや思いやり、望みがなくなるということ。最近の私は「忙しい」を連発。時間がないから、食事作りも手を抜く。でも何だか美味しくない。休日、九歳の娘と六歳の息子を誘ってスープを作った。いつもなら「余計時間がかかる」と誘わないが、その日は一緒に作りたかった。人参、ピーマン・・・、苦手な野菜をゆっくり細かく切る子供達。私の慌てた切り方と違い、野菜が生き生きと見える。「今日のスープは美味しいな」と主人。「このじゃがいもは私が切ったの」「なすは僕だよ」賑やかな食卓。心のこもったスープは心をとても暖かい気持ちにさせてくれた。

私がまだ小さかった頃、テレビでとてもおいしそうなかぼちゃのポタージュが紹介されました。さっそくお母さんに作ってと頼んだところ、うちにはミキサーがないから作れないと言われました。私は納得がいかずお母さんと喧嘩してしまいました。ところが次の日、夕飯にはかぼちゃのポタージュが出てきたのです!なんとお母さんはかぼちゃを一つ一つ裏ごししてポタージュを作ってくれたのです!スープの上には生クリームのかわりにコーヒーミルク、舌触りも滑らかとはいえなかったけれど、お母さんが一生懸命作ってくれたかぼちゃのポタージュはとてもおいしかったです。



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